『君は月夜に光り輝く』佐野 徹夜

 

 

 きっとこれは小説を書くというエネルギーの問題なんだ、読み終えたあと頭の中にぽっと浮かんだのはそんな言葉だった。

 死を想うことは哲学者の特権ではないし、ふとしたきっかけで想ったり、あるいは親族や親しい人の死というものに直面したときに、ああそうか、死ってこういうことなのかと湧き上がってはその実体を捉えたのか捉えていないのかわからないまま「時間が解決してくれたり」する。

 ただその「死」がふとしたきっかけ、偶然も偶然、誰かがそうしなければ交わることがなかったともいえる偶然によって(ルーレットでも回す誰かがいるかのように)、主人公である岡田卓也は「死」を考える。渡良瀬まみずという発光病(月光を浴びると身体が淡く光り、死期が近付くとより強くなる病)との出会いで、それは頭の外から飛び出して、具体的な行動へと繋がっていく。

 所謂「難病もの」で、難病ものである以上、先に待ち構えるモノは「死」か「それ以外の何か」かでしかないのは宿命的であって、この物語がどちらに倒れているかは読んでみていただきたい。ただ、こういう「難病もの」を読むときは本(紙の本)で読んで欲しいとも思える。電子書籍版にない”演出”こそ、残りページがわかるということ。「難病もの」の作品にとってそれは余命である。この作品にしてみればそれは「残された時間」でもある。ページが進むにつれて、残された時間は減っていく。それが手に取るようにわかるからこそ、作品世界の中により一層入ることが出来る。

 それから、この作品が第23回電撃小説大賞大賞受賞作である理由は、あとがきに書かれている。受賞記念の特別帯でもイラストレーターのloundraw氏が「誰かに読まれるために生まれてきた物語だと思いました」とコメントしているように、これは確かにこれを必要としている「誰か」に読まれるために、それを果たすために大賞を取り、書店に並ぶ(より多くの書店に並ぶ)ために選ばれたのでもある。

 あとがきを読んだときの納得感はこの作品のすべてを肯定する。冒頭にも書いたように「小説を書くというエネルギー」がどのようなもので、それはどのような形で小説に変換されるのかというのを見せてくれる。

 ただ少し意地悪なことを言ってしまうと、この作品は作者である佐野 徹夜氏の「書きたかったこと」の最も重要な部分を占める題材だと思われる。そうすると、次作はこの「書きたかったこと」を別の角度から書くのか、また別の書きたかったことを書くのか。今日から、次回作を待ちたい。

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